2008年6月27日金曜日

ああ無常(無情じゃないよ)

一年程前から娘はスイミングスクールに通っている、そう幼稚園の年中の中ごろからだ。スイミングを始める頃は娘はやる気満々だった。

親としても色々な理由や願いを込めてスイミングに通うのを許可した。

1.小学校に上がって困らない為にも早いうちから水に慣れて欲しい
2.風邪をひかない健康な体質になって欲しい

スイミングに通わせた最初の想いはシンプルでたったこれだけでした。



でも、半年くらい経つと、コーチの指導に対して不満を持つ親であった…。

「あのMコーチやIコーチに教わっていたんんじゃ何時まで経っても進級出来ないし、全然上手くなっていない。しかも子供は遊びながら水泳はあまり真剣じゃないみたい。もっと家の子のやる気を引き出してくれるコーチの指導を受けさせたい」

などとね。最初の想いである『健康維持』と『水に慣れさせる事』は十分効果があったのにだ。

暫くすると今度は娘があるコーチの指導が嫌いになる。例えばKAコーチやMIコーチだ。この2人は結構厳しく『飴とムチ』でなく『ムチ』しか無いスパルタタイプの指導スタイルだ!



で、娘が「スイミングに行きたく無い!もう止めたい!」などと言い出すと、またしても親は、

「別に水泳の選手になるわけじゃないんだから楽しく続けられるのが一番!やっぱり子供に教えるんだから指導者は「飴とムチ」を上手に使い分けて欲しいもんだよ。子供なんて煽ててナンボだろ?」
「これだったらMコーチやIコーチの指導の方がよっぽど良いじゃないか」

などと勝手な事を考えるものだ。

水泳が上手になる(進級する)為にはある程度厳しい指導は至極当然なんだけどね。


世の中は無常と言われているがこんな身近な、いやっ自分自身の心でさえ状況に応じてドンドン変化してしまう。人生をブレないで生きる人はきっとこんなお粗末な思考でなく「目的」に応じた「行動」や「思考」を最初から常に意識していて無常な世の中にあっても揺るがない不動の志を貫いて行くことが出来る人なのでしょう。

2008年6月16日月曜日

絶対的な価値観②

以前にも絶対的な価値観について少し触れたがもう少し今の世の中について分析してみたいと思う。

前回、私はこの疑問に対して『自然の摂理に逆らわないで流される事』と解釈して終わったと思う。これは私の答えの中の一つで否定する気は無い。でも、世間一般における「絶対的な価値観」とはいったい何なのか?を考えてみたいと思う。

「信じられるモノ」が即ち、絶対的な価値観の象徴になるのではないだろうか?そう、例えば神です。信者の方は教祖様に対して『崇拝』という接し方をしている場合が多く、それは「絶対的な価値観」の象徴に近く、神様に近い存在なのでしょう。

では、崇拝する神様が居ない無宗教の人にとっての絶対的な価値観とはいったいなんなのでしょう?

愛や夢や勇気、どれも絵に書いた餅的な印象です。別にこれらを否定する気はありませんが、絶対的な原動力になるものでは無い気がします。

10年以上離れ離れになってしまった恋人が10年後に同じ気持ちで愛を語れるか?
夢だけで生きていける時期は確かにある。でも、夢だけで一生涯暮らせるか?
勇気は価値観でなく、心の強さの単位であって生きて行く為の指標とは意味が違う。

『希望』、これは絶対的な価値観のヒントになるかも知れません。絶望とは『希望が無い状態』を言います。希望と絶望は表裏一体のコインも目の様なものです。

絶望を言い換えれば『希望を捨てた状態』と言えると思います。誰かの言葉ですが、「不思議なもので失くしたモノは何時かどこかで再び巡り会える事がある、が、自分から捨ててしまったモノは二度と戻ってこない」という名言があります。

ここまで書いて私の中に一つの答えが見えてきました。

つまり『絶望』は全てを停止させる。

絶対的な価値観とは、
「幾つもの失望(希望を失くす)を乗り越えて探し続け、求め続ける事」ではないだろうか?

もっと普通に言えば月並みになるが、
「失敗を恐れずに、とにかく行動する事が重要!」「希望は行動した後から見えてくる」

これが私が今辿り着いた精神論での「絶対的な価値観」になる。おそらく多くの人が『行動』を一つの尺度にして希望を追いかけて来たに違いない。行動によって感性や知識・教養に磨きをかけて、それが希望に繋がる、その行程が価値観ではないだろうか?

2008年6月15日日曜日

原油高騰!今は目立たない灯油18リットルの値段

2008年6月15日現在、私の家の近所のスタンド(セルフ)では灯油18リットルがなんと1,998円と表示されていた。シーズンオフのこの時期ですら1リットル単価で100円以上している始末。年末には単価が130円くらいになってしまいそうな気がする。

もし1リットル単価が130円になったら、18リットルの値段は2,340円という計算になる。今年の3月頃のおよそ1.5倍の金額です。

ガソリンが年末までに単価200円になると言われているわけだから灯油が1リットルで30円前後価格が値上げされたとしても不思議では無い。流石に今年の冬は灯油の使用は考えなくてはいけないかも知れない。


原油高騰に関連してタマゴや小麦製品も値上げしている。近所のスーパーで今まで3玉104円で買えていたゆでそばが今では145円もする。全てが値上げに向かっているか、内容量を減らすかの対応をしてきている。

世の中は無常で常に変化している。でも人が作り上げた無常にイチイチ付き合っていたら身が持たない。景気に左右されないエネルギーって何か無いものか?やっぱり一番確実なのは自家発電なのかな?電気や燃料に頼らない自給自足の生活を目指す事が、人が意識的に作り出す無常の影響を受けない生活の仕方なのかも知れない。

2008年6月10日火曜日

ドラマチックな人生

人は誰でも「物語の主役」を演じている様な錯覚を覚える瞬間があるものだ。私が嘗てそんな状況で時が止まってスローモーションになった場面を幾つか挙げてみたいと思う。

1.20歳の頃、スプリンタートレノでカーブを曲がり損ねて金網に突っ込んだ瞬間
2.23歳の頃、同期で好きだった女の子が田舎へ帰ってしまう夜、新宿での別れのシーン
3.25歳の頃、付き合っていた女の子との別れ話の縺れで彼女が半狂乱した時のシーン
4.33歳の頃、今の妻と初めて出会った焼き鳥屋でのシーン
5.34歳の頃、某有名都市銀行への派遣社員として赴き、子会社へ役付きで就職が決まった時

この様に事故や異性・仕事の出世が特に印象的に時間を止めてくれるみたいです。

でもこの10年くらいはそういった「物語の主人公」になれていない気がします。事故を起こしたらきっと物凄く印象に残ってある意味物語の主役になれるのでしょうが、そんなのは真っ平です。

バブル以降日本人は『ただ只管生き残る事』と『熨しあがる事』ばかりに注意を払い、本当に必要な「アソビ心」や「美学」を軽視せざるを得ない状況になってしまった。

年功序列が廃止され、能力主義や成果主義が持てはやされる様になった。

その結果、無味乾燥で物語性の無い単調で飽きる長編小説の脇役を演じるしか無い現代の人々はドラマチックな人生を求めて転職したり、脱サラしたりする。その一方で動きたくても動けない人は様々な重圧に耐え切れなくなり病気になってしまう事も多い。迷走する日本でドラマチックで魅力的な人生をワクワクしながら送れる日は来るのだろうか?