2008年6月16日月曜日

絶対的な価値観②

以前にも絶対的な価値観について少し触れたがもう少し今の世の中について分析してみたいと思う。

前回、私はこの疑問に対して『自然の摂理に逆らわないで流される事』と解釈して終わったと思う。これは私の答えの中の一つで否定する気は無い。でも、世間一般における「絶対的な価値観」とはいったい何なのか?を考えてみたいと思う。

「信じられるモノ」が即ち、絶対的な価値観の象徴になるのではないだろうか?そう、例えば神です。信者の方は教祖様に対して『崇拝』という接し方をしている場合が多く、それは「絶対的な価値観」の象徴に近く、神様に近い存在なのでしょう。

では、崇拝する神様が居ない無宗教の人にとっての絶対的な価値観とはいったいなんなのでしょう?

愛や夢や勇気、どれも絵に書いた餅的な印象です。別にこれらを否定する気はありませんが、絶対的な原動力になるものでは無い気がします。

10年以上離れ離れになってしまった恋人が10年後に同じ気持ちで愛を語れるか?
夢だけで生きていける時期は確かにある。でも、夢だけで一生涯暮らせるか?
勇気は価値観でなく、心の強さの単位であって生きて行く為の指標とは意味が違う。

『希望』、これは絶対的な価値観のヒントになるかも知れません。絶望とは『希望が無い状態』を言います。希望と絶望は表裏一体のコインも目の様なものです。

絶望を言い換えれば『希望を捨てた状態』と言えると思います。誰かの言葉ですが、「不思議なもので失くしたモノは何時かどこかで再び巡り会える事がある、が、自分から捨ててしまったモノは二度と戻ってこない」という名言があります。

ここまで書いて私の中に一つの答えが見えてきました。

つまり『絶望』は全てを停止させる。

絶対的な価値観とは、
「幾つもの失望(希望を失くす)を乗り越えて探し続け、求め続ける事」ではないだろうか?

もっと普通に言えば月並みになるが、
「失敗を恐れずに、とにかく行動する事が重要!」「希望は行動した後から見えてくる」

これが私が今辿り着いた精神論での「絶対的な価値観」になる。おそらく多くの人が『行動』を一つの尺度にして希望を追いかけて来たに違いない。行動によって感性や知識・教養に磨きをかけて、それが希望に繋がる、その行程が価値観ではないだろうか?

0 件のコメント: